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クロンビー法律事務所が、法律や立法といった高潔な「理」を一切扱わないことは、コヴェナントの住民なら誰でも知っている公然の秘密だった 。そもそものコヴェナントという街が、トゥパの清潔なセラミックの遥かした、胴体くらいある配管と、不気味な重機の低音と、泥と汚物の震動が床を伝って、吹き曝しを何とか躱そうとしてできた、溝というか窪みのような場所にあったわけだが、彼の事務所の立地は、法律事務所という名前にはにつかず、下から数えたほうが早いような、いつも泥と湿気にまみれて、床の下はすぐに崩れてしまう、そういう場所にあったのだ。

そもそも法律なんてものが、かねてからこの街で役に立ったことがあるかの方が、そもそも少しなりとも存在したのか、甚だ怪しい限りでるが、当のご本人はこの屋号を気に入っているようで、そのブリキを打ち抜いてできた看板だけが、このコヴェナントの街の地下とも最下層ともいえない空間で、クロンビー氏が持ち込んだ、法というものの唯一の拠り所のなっていたのであった。

本業はと言えば、その店内をご覧いただければ誰でもわかることだろう。積み上げられた鉄くず、バルブ、配管配線。同じような金属の塊でも、ちょっと見栄えが良ければあっちの棚。母岩にくっついた宝石かのように、基板がくっついていたらこっちのカゴと言った様子で、門外漢からしてみれば全く乱雑に積まれた山でありながら、確かな目を持った者が根気よくその川の底を浚うのであれば、宝石が紛れ込んでいることもまた確かな空間であった。

ああらん限りの法という概念が、かねてからこの街で役に立ったことがあるかの方が、懐疑的で生産的な議論ができるだろう。氏のいうところの諧謔的な性格によれば、その看板はいずれかの表層から持ち込まれたことは間違いなかった。

脂っぽいコーヒーから立ち昇る、不自然な香料を鼻腔に感じながら、クロンビーはその不快な蒸気の向こう側に、新しく運び込まれた「ガラクタ」の山を眺めていた。

南の大規模なシリンダーの再開発区画は、少し表層を剥いだだけで、眠っていた地殻の怒りを呼び起こしてしまったようだ。吐き出されたのは大小、そして特大の古代の遺物とも、ガラクタとも、カケラ(と呼ぶにはあまりに大きいが)だった。

「また開発が止まりやがった!」

溢流区(オーバーフロー)に戻ってきたソギドたちの騒ぎっぷりと言ったら。耳障りな怒号に、湿った空気の中を騒がしく飛び交う罵声。掘り出された金属の根や種子たちは、巨大なハイ・コンベアに載せられて清潔な上層へと吸い込まれていったが、奴らの肥えた眼に止まらなかった残滓のなかにも、まだまだクロンビー氏の稼ぎとなるおこぼれは、いくらでも残っているのであった。

「まったくもって、どこもかしこも人が多すぎる」

こんどはあの懐かしき、輝かしき時代へ思いを馳せるための、助走ともいえる仕草を始めたのだった。一服の助走ともいえる仕草、すなわち刺し煙草を燻らせはじめ、足を投げだしたのだ。

クロンビー氏は確かに、社会派であったからその頭にはわずかばかりの、靄のかかった惑星トゥパの政治的、そして種族的、経済的な全様へと思いを馳せていたのだ。

「まったく、あきらかに上には人が、下には半人が多すぎる。コロニーが拡張されるスピードに、いつまでたっても土地が追いつくことなんてない」

こんな星へと、最初へ入植した奴が問題なのだ。頭の中という名の宇宙での議論は、いつもそこで結末となり閉廷するのであった。回想という名の助走が勢いにのったころ、それを咎めたのはあの軋むような入り口の蝶番が発する悲鳴であった。

クロンビーは、刺し煙草の煙をゆっくりと、まるであの「大シリンダー」の排気のように重たく吐き出しながら応えた。

「おいおい、もう街灯も消えてる時間だぜ、マーサのバァさん。わざわざ暗い中、うちのオフィスになんの用だ。……またあのアパシーの野郎か? あいつがまた家に閉じこもって、自殺願望を聞きに行けって話か?」

「おやおや、えらく上機嫌じゃァないの。え?」マーサのおばさんは、気にせず言った。その半開きの口の間から、犬歯にはめ込んだ紫の金属がこんにちはをした。

「ボートハウスのあたりも、その先のドリル・ドリブン・ドライブインまでも。やつらの湿った腐敗臭で、酷い状態だよ。もうこの街もおしまいだね。アパシーの奴なら、吹き飛んじまったよ。街の外でやる分だけの分別があるなんて、立派な最期じゃないか」

「ちょっと待ってくれ、ドライブインまで?それじゃぁ、誰が俺のブリスケットを焼くってんだ」

マーサのおばさんは包を差し出した。クロンビー氏は包をもぎとると、匂いを嗅いだ。

「あんたがそういうと思って、このあたしがここへ来てやったってわけだ。ミスティック・ブラーの跡地で、ダイナーをやるんだってさ。ジェラルドって男だ。新しいダイナーだ。開店第1号のお客さんが、この私だったというわけだよ」

クロンビー氏はすでに包みを開け、黒い肉汁を指にからませながら、満足とも不服ともいえる顔をしていた。

「ミスティック・ブラーなんて、名前がいけないんだ。もっとがんコツな名前でないと、この街で残っていけるわけがなかろうってんだ。それで、あんたは今日はなんの用事だ。リウマチか?」

「生憎と、今日はどちらでもないよ。もっと切実で、そしてこの街では何より無益なものを探しに来たんだ」

マーサは、店内の無秩序な、ある種、暴力的なまでに積み上げられた「ガラクタ」の山を、軽蔑とも哀惜ともつかぬ眼差しで一瞥した。

「花瓶を探しているんだ。それも、ただの空き瓶じゃない。あの情けない男の、最後の場所を飾る器だよ」

「花瓶だと? 花なんてどこにある」

クロンビーが顔を上げると、マーサはおもむろに、そのしなびた茎とも、キノコともいえぬ物体を机の上へと広げた。

「バァさん、いくら何でも頭がおかしくなったんじゃないか?俺に対しての当てつけか何かか?フリップド・ズリドルの……ペニスなんて、第一どこから拾ってきたんだ?」

「ああ。あのミスティック・ブラーの亭主、スネガンの野郎の墓にね!飾ってやるのさ!」マーサ婆さんの言葉には、刺すような恨みがこもっていた。「あいつは結局死ぬ間際、センサリ・ポッドを全部、地下水路のルブに浸して、現実から逃げやがったんだよ」

マーサは、呪いのように続けた。

「あのアパシーの初期症状だったのさ。スネガンは自分に対する疑いの目に耐えられなくなった。みんなに疑われたからね、レッドシードだって」

「だが、それであんたがどうしてそんなに恨むんだ?金か?」

「金? クロンビー、あんたもこの事務所のガラクタと一緒に脳みそが酸化しちまったのかい」

マーサの婆さんは、デスクに置いたフリップド・ズリドルのペニスを指先で弾いた。不気味な赤紫色の物体は、以外なほどのコラーゲン気質の柔軟性でもって、弾かれた情熱に身をくねらせた。

「貸してたのは、金じゃない。……新しい養殖モスの畑だよ。あんたが今食ってた、ブリスケットの材料だって、新鮮とれたてのアソコからきたんだ。スネガンの野郎は、立ち行かなくなって消えたのさ」

クロンビーは、スパナを置いて刺し煙草を深く吸い込んだ。

「……あの畑は、ずいぶんな量を収穫できた。しかしなんでだと思う?スネガンは、上層から密輸した光屈折膜を使って、モスの生育を早めてたのさ。このあたしの名前で契約して、こっそり運び込んだ代物でね」

マーサの瞳に、復讐の炎にも似た濁った光が宿る。「私の亭主も、隣の倅も、いまじゃあの畑の奴隷同然だよ。こうなったら、とことん稼がなきゃいかん。追手がくるまでにね」

そう言ってマーサの婆さんは、まるで自分の死相を愛でるかのように、カウンターに置かれた曇った鏡へと顔を寄せた。彼女の指先は、地下水路の毒素が沈着した不気味な紫色を湛え、それが震えながら唇を捲り上げると、湿った歯茎が露わになる

口には、一点の鋭利な紫色の光――どこかから剥ぎ取られたのであろう、マジョーラカラーに煌めく特製の義歯が埋め込まれている。彼女は喉の奥で錆びた歯車が噛み合うような湿った咳払いを一つ吐き出すと、鏡に映る自分の健康な歯と、特別な一本のお宝に満足し、薄い唇をもとに戻した 。

「待てよ、それならあんたは得した訳じゃないか。上からの追手が来るだなんて?光屈折膜の密輸で?そいつは心配しすぎだろう、マーサのバァさんよ。奴らだって、そんなに暇とは思えないね。第一、それならこの街だってとっくに無くなってるだろう」

マーサ婆さんは、幾分かの吐露によって気分が晴れたようで、探し物の続きを始めた。

「これが花瓶にちょうどいい。……スネガンの野郎、あの世の入り口で、自分がこの私に残した罪の重さを思い知ればいい。このズリドルの肉塊を、奴の墓の前にぶち込んでやるのさ」

クロンビーは、マーサが掴んだ真鍮の筒を見つめた。それはかつて、恐らく上層でアロマを噴霧していた装置の一部で、まさかこんなにバラバラにされて、埃をかぶり、挙句の果てに肉棒を咥えさせられるといった自分の運命を、恨んでいた。

「スネガンのフェイクってわけか。婆さん、好きに持ってってくれ。ブリスケットはごちそうさん」

深夜の客人が去った事務所の隅で、荒っぽい治療で無理やり読みが得させられた示圧計の針が、震えるように振動を刻んでいる。クロンビーは答えず、刺し煙草を咥える。

法律事務所の窓の外、夜の街聞こえるのは、耳を劈く、はるかかなたの重機の低周波ハンマーだけだった。