0章

凍土だ。地平線まで、何もない。海さえも今の季節は灰色の氷の板に変わっている。空も地も海も、同じ色に塗り潰される。

ここは孤煙砦の上部にある、工廠都市全体を眺められる観測室。外壁の石は古く、隙間から風が入る。蒸気パイプはここまで届いていなかったので延長させた。それでも息が白く凍る。

少年と青年のちょうど中間のような、そういう年頃の男の子が、ただぼーっと部屋の窓から都市全体を眺めている。

製鉄所の大きな扉が開くと、高炉の赤で道が染まる。工場の門の前に列ができている。工員たちの列が、赤い光の縁を歩いている。煙突が十数本、空に向かって煙を吐いている。

頭の位置には貴族の館がある。足の指の間には修繕中の砕氷船が桟橋に繋がれている。

青年は知らなかった。メクマトで無くとも、大人でも、老人であっても、この都市の最初を知る者はもはや多くなかった。石畳を剥がし、建屋をどかせば、そこら中から哀れな白骨がでてくるだろう。凍死に餓死、疫病に栄養失調。

一番最初にこの土地を開拓し、都市を立ち上げた勇敢な者たちは他でもない、青年の祖父、コーツ家の当主たちだった。命じたのは北部大公のラヴァル家だ。

北部の大公は鉄を欲したのだ。汽車や歯車、機械に必要なあらゆる種類の金物に、砲台。そうだ砲台だ。砲台はいくら作っても作っても、足りることなど無いのだ。

一番最初に連れてこられた者は、一番ひどい目にあった。凍り付いた港に、何も知らぬ者が連れてこられた。何人も凍傷になって、栄養失調で爪がはげた。何人も死んで、最初の砦が建った。

しかし、辺境の永久凍土において、唯一凍らない地面や、常に蒸気を噴き出す地層があった。これが万煙の由来となる最初の火種となった。

水車と川のように、地熱は雪を沸かし、人々に生活する水をあたえ、石炭を掘り出し、その石炭で製鉄をする。

ラヴァル家の指示で追加の工員が来た。工員のための長屋が建った。長屋の隣に酒場が建った。酒場の隣に質屋が建った。質屋の隣にまた工場が建った。貴族の館だけが、その流れに抵抗するように古い石造りのまま残っている。

事業は息子が引き継いだ。コーツ家のウォルタンは、父に引けを取らず優秀であったが、彼は事業を大きくすることに、天賦の才があったようだ。

都市は火車のように、猛烈な勢いで回転し、鉱山を溶かし、かつての凍えた荒野は、巨大な熱量を発した。鉄を、船を、線路のための鉄鋼をすごい勢いで吐き出しはじめた。

プノストーの煙が天を舞い、コーツ家の名声とともに風に乗って北部まで届くころには、北部(トーン)の内廷は恐怖と暗雲が立ち込める。

大公家は若きウォルタンを、辺境から引き剥がすことに決めたのである。それは、首都ソーンヒルへの召喚であり、大公家の長女イルダとの縁組であった。

後を託されたのはコーツ家の次男ベルベクであるが、この男は仕事には向かなかった。その指先に煤がつくことさえ忌み嫌った。彼はほとんどの時間を暖炉のそばで過ごして、夜遅くまでカード遊びをするか、外出するとしたら狩りの時くらいだったのである。

製鉄所の活気は失せ、煙突から吐き出される煙は、病人のように力なくごくまれに、ぼそぼそと息を吐くばかり。

しかしその頃、華やかなるソーンヒルの夏の館で、一人の少年が産声を上げた。 メクマト・ラヴァル。 コーツ家の野心的な血と、ラヴァル家の高貴な血を持つ子。

幼い彼は、刺繍の施された天蓋付きのベッドと、宮廷の冷徹な礼儀作法の中で育っていった。しかし、北部大公となるこの男児に安穏とした幼少期は訪れなかったのえる。

ある霧の深い朝、ウォルタン・コーツは不可解に姿を消す。それは事故というにはあまりに静かであり、暗殺というにはあまりに証拠が乏しい、宮廷特有のものであった。 

後ろ盾を失った母イルダは、精神の均衡を崩し、ふさぎ込み、深いヴェールの底から、けして顔を上げることは無くなってしまった。ラヴァル家の貴族たちは冷徹であった。あの夫婦は、義務を果たし他とたん遊びまわったのよと。

宮廷は海、傲慢の 波はよせ、ねたみの嵐に荒れる。 怒りは、いさかいと乱暴をまねき、 しばしば舟をくつがえす。 裏切りがその役を演ずる。 楽しみたければ、よそで泳と。

噂は、宮殿から霧のように溢れ出した。今は無きウォルタンは種を宮廷の至る所にばら撒き、恨みをかったのだ。誰彼構わず寝室へ招き入れている——。

孤立無援の中で、嘘は真実の衣を纏い、彼女の誇りを内側から食い荒らした。深いヴェールの底へ逃げ込んだ彼女は、もはや自分が不貞を働いたのか、あるいは潔白なのかさえ判別がつかぬほど、深い泥濘へと沈んでいった。

追われるように、というよりは追い払われるかのように、母子はソーンヒルを去った。馬車の窓を叩くのは、しとやかなソーンヒルの雨から、北方の硬く冷たい雪礫へと変わった。

やがて少年の眼前に現れたのは、亡き父の言葉が生み出した姿とは似ても似つかぬ、すたれた砦であった。 叔父ベルベクの放蕩によって、かつて路が吐いた咆哮は溜息へと変わり、工廠の歯車は錆びついている。

しかし、少年はその光景に、得体の知れない血肉の昂ぶりを感じていた。うつろな瞳で泥を啜る薄汚れた男たちの群れ。そして、恐る恐る覗き込んだ工場の天井。そこには、煤けながらも巨大な背骨のように建屋を貫く、沈黙した駆動軸があった。